| The World Community for Christian Meditation
+ Weekly Internet Medit@tion Group =========================================== 2001年5月6日瞑想の栞 =========================================== 物理的には他の瞑想者達から離れているかもしれませんが、あなたは聖霊の中で彼らと結ばれています。毎朝そして毎晩、瞑想の時間を半時間とりなさい。できれば同じ静かな場所そして時間に座りつづけなさい。そうすることによって瞑想の時間が一日の自然な時間の流れの一部に組み込まれていくからです。時間をたっぷりと取りなさい、そして忠実にマントラを唱えなさい、そして私たちすべてを聖霊において一つのものとしている沈黙のネットワークに入りなさい。 ========================= ベネディクト会修道士ジョン・メイン師著”Beyond Memory”、「The Present Christ(臨在するキリスト)」(New York: Crossroad, 1991), pp.106-107から抜粋 この旅の各段階で自分のすべてを後に残し、前進し、新しく造られたものとならなければなりません。しかしこの考え方を実践可能な人生論として受け容れ、それを信じるだけでは不十分です。あらゆる正論(しかもその一つ一つから派生したものもきちんと分類し吟味している)を極めながら、なお、実践をしていない時に陥る不毛で不満だらけの状態は誰しもが知っていることです。持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられるとイエスが言ったのはまさにこの状態のことなのです。 これは厳しい言葉ですが、その真理は誰にでもわかります。ひょっとしたら、自分がどこにいるのかということのほうがわかりにくいかもしれません。イエスのこの言葉で、「持っている」ということは、踏み出す一歩一歩の歩みが本当に行脚の狭い小道を踏みしめながら「道」につき従う者であることを意味します。そして「持っていない」ということは、行脚に関する理論によって、その小道沿いに浮遊させられてしまい、空を蹴るばかりで前に進めず、足踏み状態になり時間を失うことを意味します。ひょっとしたら自分は、この2つ目のカテゴリーに入るかもしれないという可能性を認めることは難しいことです。、理論を知っているので自分はひとかどの人間だ、実はそれは尊大だということですが、と思っている人は、自動車の取り扱い説明書は持っているが自動車は持っていない人々のようなものです。今この決定的瞬間まで、実は本当には行脚の旅はしていなかったかもしれないと認めたくはないものです。し かし、もし自分の足で大地を踏みしめようと思うならば、どうしてもそれを受け容れる謙虚さをもたなければなりません、新たな出発をすることが絶対に必要なのです(そしてまた再び必要となるでしょう)。そうしなければ、自分では持っていると思うもの−−理論のことですが、理論というものは、いついかなる時においても全体の一部分ですら十分に言い表すことができないものです−−は現実が見え始めるとあっという間に私達の手元から吹き飛ばされてしまいます。そしてそれはすべての人に見えるようになります。私達に準備ができていようがなかろうが、死が訪れ、これ以上確かな現実はないと思い込んでいた幻が映し出されていたスクリーンが取り払われてしまう時に。 私達は、理論を通り抜け、現実の中に入り込まなければなりません。それこそまさに、瞑想の度にすることなのです。瞑想するために座った瞬間、自分が何者であるだとか、自分がどんな立派なことをしてきた人間だとかいった一切のことがうちすてられます。過去が本当の意味でうち棄てられればられるほど、その日の仕事に戻る時には、それだけ新たな人間とされています。瞑想というのは神の現在の時の中へと絶え間なく入り込むことなのです。だから、自分の全生涯という観点から見るようになっ て初めてこの成長の過程という神秘が理解できるようになるのです。瞑想する人は、本当の自分−−誕生から死に至るまでに自分がなる人−−つまり全人なのです。普段の生活のいろいろな局面で、これが自分だと思い込んでいる孤立した自己のイメージではありません。 したがって、瞑想の中で、また瞑想を通して私達に起こる成長は孤立した体験の中に閉じ込められてはいません。だから日々自分が体験しているものがどういうものなのだろうと考えることは非生産的なのです。霊的な成長というのは常に「と一つであること」の中へと成長していくことであり、自己意識から抜け出ていくことを意味するのです。もし現実に関するこの根本原則を、日々忠実に瞑想を行うことの中で具体化することができれば、「御霊を授けられた人は、実際にあらゆることの価値を判断することができる(新共同訳では「霊の人は一切を判断します」)」という聖パウロのキリスト者の謙虚ではあるが絶対的な確信をもつ幸せに浴することができるのです。このように現実の行脚に根ざしていれば、どのようなものでも、それがキリストにあっての完全さにむけての成長を促すものであるのか、それとも遅らせるものであるのかがわかります。果たして自分についてより考えさせるものなのか、それとも自分 のことを考えなくさせるものなのか。それがキリスト者の試金石なのです。 ========================= >>>>>>>30分間瞑想<<<<<<< 覚えていなさい:座りなさい。身動きせずに背筋をのばして座りなさい。軽く眼を閉じなさい。リラックスして、しかし気を張り詰めて座りなさい。静かに、胸の中で、ただ一つの言葉を言い始めなさい。私たちは祈りの言葉「マラナタ」を薦めます。同じ長さの4音節として唱えなさい。自分で言いながら、 その音を聞きなさい。やさしく、しかしとだえることなく言い続けなさい。何も考えたり想像したりしてはいけません――たとえ霊的なことであろうと、あるいはそうでなくても。いろいろな考えやイメージが浮かんできます。しかしそれらは流してしまいなさい。瞑想の最初から最後まで、ただひたすらあなた の注意を、謙虚にそして単純に、自分の信仰の言葉を言うことに向けなさい ========================= 瞑想の後で ========================= Isaac of Nineveh, THE SYRIAC FATHERS (Kalamazoo: Cistercian Publications,1987), pp.290-291から抜粋 人は、神に近づくか、真理から離れて墜落していくかのどちらかである。これは、心が向けられている方向によるのであって、何がなされたとか、何がなされなかったとかいうような外的な特徴によるものではない。多くの初期の教父たち−−私は偉大な隠者達の数名のことを言っている−−は、詩篇すら知らなかったが、にもかかわらず、彼らが獲得した優れた方法と謙虚さの結果として彼らの祈りは火の如く神のもとへと立ち昇っていった。 ========================= この栞はあなたの個人的な使用のためだけに提供されています。(引用される文書は色々な理由で繰り返されることがあります。)将来利用するためにハードディスクに保存してもいいですし、別な機会に読んだり、他の人と共有するためにプリントするのもよいでしょう。 インターネット上の瞑想週会に参加し、emailでこの「瞑想の栞」英語版を受け取りたいという人はWCCM-Rに登録してください。英語で瞑想に関するemailメッセージを他の瞑想者達と交換し、かつ「瞑想の栞」英語版を受け取りたいという人はWCCM-Lに登録してください。 是非「WCCM Online Weekly News Magazine」のために設置した当コミュニティのホームページにも来て下さい。アドレスは、http://www.wccm.org です。 WCCMの活動は、皆さんからの寄付で支えられています。時々センターへ寄付金を送っていただければ大いに感謝いたします。センターの住所は、 The World Community for Christian Meditation, International Center, 23 Kensington Square, London W8 5HN, United Kingdom. アメリカ合衆国ならば、 The John Main Institute 3727 Abbeywood, Pearland, TX. 77584 瞑想に関する書籍やテープの全商品のカタログが必要な方、またオンラインで購入されたい方は、http://www.mediomedia.com へお越しください。当サイトはセキュア・サイトとなっています。 Weekly Internet Meditation Group Leader Carla Cooper WCCM USA National Coordinator Huston, Texas ++++++++++++++++ 日本語のWeekly Readings (瞑想の栞)は、 http://form.easyml.com/easyml/meditation-c8.php3 で登録していただければ毎 週、日本語訳が出来次第、メールで届けられます。 これまでに、京都グループの集会で使用されたジョン・メイン師、ローレンス・フ リー マン師の講話の日本語訳は、http://www.geocities.com/earlysummer/ でごらんい ただけます。 日本語訳について、お気づきの点がありましたら、是非earlysummer@mcn.ne.jp まで 御教示お願いいたします。 主の平安を 日本語訳担当:黒宮康明(WCCM京都グループ) ++++++++++++++++ |
瘤の手術のため入院しました。日々、瞑想に入る前に、癒を求めて祈っていただけれ
ば幸いです。