第4回 マントラを唱えるパート2
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マントラを唱え続けることが本当に重要です。多くの場合、瞑想を始めるとすぐに穏やかな状態、心地よい安寧の感覚の中に、そして、非常に高揚した幸福な感覚の中に入るとことができます。こうなると、マントラを唱えること自体が、こういう至福感を阻害するように思われ、この心地よい高揚感を失いたくない、この場所にいたい、いわば、ここにキャンプを張ろう、そしてもうこれ以上山を登ることはやめようと思ってしまいがちです。 それで、この浮遊するような敬虔な気持ち、ある種の宗教的な麻酔状態という低次元のもので妥協してしまい、マントラを唱えることをやめ、長い、無用な、長い非生産的な期間を過ごしてしまうのです。しかしそれでは、御霊との力強く拡大していく交わり、さらに深い御霊の知覚は手に入りません。 四世紀の偉大な祈りの達人は、この危険をpax pernuciasiaつまり破滅的な平安と呼びました。もし「もういい。ここでいい。この先はいらない」と言いたくなった時は、キャシアンのこの言葉を是非思い出さなければなりません。Pernuciasiaとは、本当に破滅的、致命的という意味なのです。 私が見る限りでも、実に多くの人々がこの破滅的な昏睡状態に陥ってしまい、主がお招きくださっている自由にいたれずにいます。マントラを絶え間なしに唱え続けるという作業はまさに苦しい行脚ですが、あきらめてはいけません。 瞑想を始めたら、20分から30分の瞑想の間中、どんな気分であろうと、どんな反応を自分がしていると思おうと、とにかくマントラを唱えつづけなければなりません。 それが忠実に唱えつづけることができるようになったら、今度は、瞑想の間中、どんな邪魔が入ろうが、どんな気持ちになろうが、胸の中で響かせ続けるようにするのです。そしてマントラが心に根付いたら、絶えることなく全神経を集中してそれに耳を傾けるのです。 瞑想について、いうことがあるとすれば、それはただ一つ、「マントラを唱えなさい」ということです。 これは決して受け容れることが簡単な教義ではありませんし、従うことも難しいものです。瞑想を始める時は皆、何か即席で神秘体験が得られるのではと期待するものです。そして瞑想する中で最初に出会う特異な体験を過大に評価しがちです。しかしそれは重要なものではないのです。 重要なのは、途中でくじけることなくマントラを唱えつづけることです。鍛錬によって自分を揺らぎないものにすることです。そうして初めて私達はさらに高い斜面に登ることができるようになるのです。 自分の最初の動機にあまりこだわる必要はありません。主導権を握っているのは私達ではありません。あくまでも主なのです。ジョン・キャシアンがこんなことをいっています。「主ご自身が私達の頑なな心を火打石のように打ち合わせ、善意の小さな火花を飛ばしてくださった。」 だから今、瞑想を始めなさい、素朴な心で、マントラを唱えるというつつましやかな課題に忠実に、――途絶えることなく |